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「安心して働けるからこそ攻めに転じられる」創業期を知るエンジニアとCEOとCTOがふり返る、9年の歩みとこれから

READYFORが産声を上げたのは、2011年3月。東京・根津にあるアパートのワンルームからでした。

当時から、ずっと付かず離れずの距離でREADYFORに関わってきたエンジニアがいます。

toyoc(トヨシー)こと豊島圭佑さんです。学生時代に起業。大学院卒業後はリクルートに勤務し、その後フリーランスへ。その時々でいくつものワラジを履きながらREADYFORに関わり成長の一端をになってきました。そんな彼が、今年11月から正式に社員としてジョインすることに。

サービス発足から10年を目前にしたいま、READYFORのゼロからのあゆみを知るエンジニア・豊島さんが、CEO米良はるかとCTO町野明徳とともに、そのあゆみをふり返りながら、これからについて語り合いました。

ラックにサーバーが置かれたワンルームのオフィスから始まったREADYFOR

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(左から、米良、豊島、町野)

米良:ワンルームオフィスでの出会い、覚えています? はじめてtoyocと会ったときは、大学院生でしたよね。

豊島:READYFORがスタートして2か月後とかでしたね。当時、僕は筑波大学の院生1年目で、落合陽一氏とWEBサイトやアプリを制作する会社をやってました。そのつながりで米良さんから声がかかり、何の前提知識もないままREADYFORの開発ミーティングに参加したのがはじまりです。

(落合氏と米良の出会いのエピソードはこちら)

米良:当時のオフィスはワンルームですごく小さいコンロがあるキッチンがあって。駅から近いのは便利でしたが……。

豊島:入口からして普通のアパートの一室でオフィスっぽくはない(笑)。玄関を開けたら一家団らんがはじまってもおかしくない間取りなのに、ラックにサーバーが置いてあり、ここは会社なんだと驚きました。

町野:せまい部屋にサーバーが置いてある状況って、暑かったり音がうるさかったりしなかったですか。

豊島:僕は隔週土曜に打ち合わせに出るくらいの頻度だったので、あまり気にならなかったですね。

米良:最初のオフィスは狭くて壁も薄かったから、うるさいのも暑いのもサーバーのせいかよくわからなかった(笑)。老朽化が進む本当に古いアパートでしたから。

気合いを入れてこだわりを貫き通した周年サイト

米良:toyocといえば印象的なのは、READYFORの1周年・2周年の特設ページの作成ですね。真夜中までがんばって、高度な技術を駆使して最高のページをつくってくれました。

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(READYFOR1周年サイト。左上のハートは支援者の顔写真でつくられている)

米良:2周年のサイトもめちゃくちゃいいんですよ。紙の冊子にして支援者さんにも郵送したほど気に入ってます。当時はまだ学生の集まりのような組織でしたが、周年サイトにはとにかく気合いを入れていて。自分たちがやりたいことには惜しまず投資してましたね。

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(2周年サイトは、スクロールすると中央の部分が遷移しページをめくるようなつくり)

豊島:デザインを落合氏が担当して、コードを僕が書いたやつですね。公開直前まで手を入れて作業をしていたにもかかわらず、初日にエラーで見られない事態に……。

ちょうど僕がREADYFORと業務委託で関わりつつ、新卒でリクルートに入社したタイミングで、問い合わせを受けたとき、新入社員研修の真っ最中。講師に「すみません、個人でやっている仕事でトラブルがありました」と謝り、研修を抜け出したのも良い思い出です。

米良:私のこだわりを「こうしてほしい」とtoyocをはじめとするエンジニアにひたすらつぶつけていましたよね。そんな無茶振りにも淡々と必死に答えてくれて、感謝しかないです。

攻めの姿勢で成長しながらも、安心して働ける基盤が整ってきた

豊島:当時は米良さんとエンジニア数人の体制でしたもんね。

町野:開発以外の業務はぜんぶ米良さんがやっていたんでしょう?

米良:そうですね。プロジェクトの伴走からPR、契約書締結の書類作成まで、あらゆることを模索しながらやっていました。

豊島:そこからエンジニア以外の米良さんと似た雰囲気の活発な女性メンバーが増えていきましたよね。

米良:たしかに。男女比が逆転したのは、二つ目のオフィスに移転したあたりかな。キュレーターがプロジェクトをどんどんつくって、READYFORのサービスの提供価値を強くしていきました。

(キュレーターは、プロジェクトの伴走者)

豊島:READYFORには、建設的な考え方をするメンバーが初期から今もたくさんいます。前に進むために、何がお互いにとってベストなのかを話し合える。ぶれちゃいそうなことがあっても、会社のバリューの一つである「巻き込み力」を発揮して、方針を明確にし路線を整えられる。ゆるやかに関わりながらも、外から「いい組織、いいチームだなあ」といつも思っていました。

米良:嬉しい!

思えば、初期の方は業務委託や正社員の垣根がなくて、toyocがカラオケ部長や飲み会部長として、率先して会社のイベントに参加して盛り上げてくれていましたよね。メンバーが増えて統制が効いてくるようになると、参加できないイベントが増えて寂しかったのではないですか?(笑)

(初代オフィスの写真や、カラオケ部の活動写真が覗けます)

豊島:社員合宿には、参加したかったです(笑)。とはいえ、制度が整うにつれ、すごく会社として安定してきましたよね。

その安定は、このタイミングでフルコミットを決めた理由の一つでもあります。

僕はリクルートに3年半いて、その後もフリーランスで動きつつREADYFORと関わってきました。その間に、結婚して家を買うなどライフスタイルの変化もあって。かつ個人でやっていた開発の案件に区切りがつきました。

精力的に成長しつつ、安定した基盤をつくってきたREADYFORを間近で見てきて、本格的にジョインするタイミングがやってきたと思ったんですよね。

米良:たしかに企業としてはまだまだ戦わなければいけないフェーズにいるけれど、産休・育休制度をはじめ、メンバーが安心して働ける環境が整ってきていると思います。

町野:事業やプロジェクトを恐れずにワイルドに進めるためには、メンバーが安心して働ける環境が大事なんですよね。制度はそれを支えてくれる。会社がしっかりインフラを守ってくれるから、攻めに転じられるんだと思います。

サービスの初期を知る「READYFORの辞書」がいるエンジニアチームの強み

豊島:組織の変化という点だと、僕は町野さんがジョインしてから、READYFORが大きく変わったと感じています。開発“チーム”から“組織”になったと。

それまでは、やりたいシステム像があってもエンジニアチームのみんなが目の前の仕事に付きっ切りで。ひたすらに自転車を漕いでただ走る状態ですね。そこから、町野さんが組織のビジョンやシステムのロードマップづくりに注力してくれたおかげで、地図が見えた。着実に前に進んでいる感覚があります。

米良:町野さんが入ってきた当初、攻める姿勢で行けると思っていたら「全部止めます」と言われて不思議に思ってました。エンジニアチームが一生懸命開発を進めてきた一方で、取りこぼしていたフラストレーションや負債があったんですよね。そこから2年経って、優秀なメンバーが増えて、負債が回収されて、前向きな開発がどんどん自律的に動いている。本当にありがたいです。

(町野が行ってきた組織づくりの取り組み)

町野:僕らエンジニアチームにとっては、サービスを創業期から知るtoyocは精神的な支えです。僕をはじめ、途中から入ったメンバー陣はシステムを大きく改善したくても、なぜこうなっているかわからなくて困ることが多い。そんなときには、まずはtoyocに聞こうと思える。その存在は心強いです。

米良:toyocは、READYFORの「辞書」とも言えますよね。

豊島:僕自身はこれまで「学校の用務員のおじさん」的な立ち位置かなあと思っていたんですが。今までは用務員として新しいものをつくるのは他のメンバーにお任せして、古いものを掃除したり直したりしてきましたが、これからは自分もつくる人になっていきたいです。

町野:システムのあらゆる面倒を見ていたtoyocが、100%フルコミットになって中の人として引っ張っていく。その変化がどう現れてくるのか、僕は楽しみです。

ちょうど今、チームごとに動ける開発体制をつくっています。特定の領域を個人が設計しても、チームで動かす機会が増えていく。ぜひ、「このシステムは俺がつくった」というtoyocの旗を立ててほしいです。

豊島:ここからはどっぷりつかって、10年後も「READYFORの辞書」と言ってもらえるようにがんばらないと(笑)。

町野:今回のtoyocのジョインに限らず、メンバーが楽しく快適に働いて自らメンバーを誘うような、どんどんつながっていくチームにしたいと思っています。

米良:ずっとREADYFORの歩みを見てくれたtoyocが、100%のフルコミットを決断してくれたのはすごく嬉しい。これからももっと「この会社に入りたい」と思ってもらえる組織にしていきたいです。

米良 はるか 創業者 兼 代表取締役 CEO
1987年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。2011年に日本初・国内最大のクラウドファンディングサービス「READYFOR」の立ち上げを行い、2014年より株式会社化、代表取締役 CEOに就任。World Economic Forumグローバルシェイパーズ2011に選出、日本人史上最年少でダボス会議に参加。現在は首相官邸「人生100年時代構想会議」の議員や内閣官房「歴史的資源を活用した観光まちづくり推進室」専門家を務める。
町野 明徳 取締役 CTO
東京大学理学部物理学科卒。同大学院在学中に電子書籍分野での起業をして以来、複数のスタートアップの事業立ち上げに携わる。2012年11月、スマートニュース社の初期メンバーとして参画。急拡大する組織の中で、技術を軸に幅広い業務を担当。その後、自動運転やブロックチェーン等、新技術を扱うプロジェクトを経て、2019年1月よりREADYFOR社にCTOとして参画。1984年浜松生まれ。
豊島圭佑
1989年生まれ。筑波大学情報学群情報メディア創成学科卒業。2011年、同大学院在学中に落合陽一氏と起業。同年よりREADYFORにエンジニアとして関わる。2013年リクルート ホールディングスに入社、HOT PEPPER Beautyなどのモバイルアプリ開発に携わる。2016年にエンジニアとして独立し、フリーランスやスタートアップ立ち上げなどを経て2020年11月よりREADYFORに入社。
text by サトウカエデ edit by 徳 瑠里香 

#未来への想い