落合陽一×米良はるか「よりよい社会をつくるためにお金の流れを変える」(後編)
コンピューターと人、自然が区別なく一体となる「デジタルネイチャー」の研究を軸に、科学、教育、経済、アート、メディア、あらゆる分野で躍動する落合陽一さん。
Readyforでは、自身の研究室の学生の教育・研究資金を集めるプロジェクトのほかにも、アート分野でも、日本フィルと合同で、テクノロジーで音楽のバリアフリーに挑む「耳で聴かない音楽会」、テクノロジーでオーケストラをアップデートする「変態する音楽会」を実施するためのプロジェクトを実行しています。
頭と手を動かし続け、時代を切り開く落合さんと、8年来の友人でもあるREADYFORの代表・米良はるかが「これから必要なお金の流れとクラウドファンディングの可能性」について語ります。ふたりの出会いから、大学の研究・教育における課題と展望を語った前編に続き、後編ではお金の価値や日本におけるアートの位置づけについて語っていきます。
誰かの応援や社会参加が、よりよく生きることにつながる時代
米良 READYFORは今、社会をより良くしていくために「想いの乗ったお金の流れを増やす」ことをミッションに掲げています。今まで国や公共セクターがサポートしていたような領域にも、クラウドファンディングやそれ以外のサービスを通して、お金を流していきたいと思っていて。落合くんの視点から、Readyforが注力するといいなと思う領域ってありますか?
落合 これから、地方にサスティナブルにお金を流すことは必要になってくると思う。東京一極集中は必然。それはそれでやらないといけないことも多い。でもそこに頼っているだけでは、乗り切れなさそうだから。最近、地方自治体の予算の分配と福祉の研究もしていて、筑波大学も地方といえば地方だから、気になっているんだと思うんですけど。
地方だからといって、誰もかれもを応援する必要はないけれど、シャッター商店街を美術館にしたり、学校を介護施設にしたり、逆風のなかで、踏ん張っている人たちを応援する仕組みがほしい。観光でお金を落とすとか、「ふるさと納税」的なものをクラウドファンディングでつくるとか、地方でビジネスをする人たちを活かす取り組みをしないといけないな、と。
米良 どこかの地方とコラボレーションする予定があるの?
落合 いや、今のところはない。もちろん、まだプレスを打てないという意味で「ない(笑)」。だけど、興味関心がある人間としてはクラウドファンディングで求めているのかもしれない。
米良 と、言いますと?
落合 社会に対して何かしらの課題意識を持ったときに、アクションを起こす方法として、一番簡単なのは、SNSでその課題意識をシェアすること。二番目は、クラウドファンディングのプロジェクトに参加して支援すること。三番目が現地に行ってボランティアをすること。
そう考えたときに、一番目は誰でも気軽にできるとして、三番目はハードルが高い。その意味で、クラウドファンディングは、ちょうどよい感じで誰かに対する応援や社会に対する参加意識を示せる。
米良 そうだよね。
落合 誰かを応援することや社会参加することで、自分がよりよく生きられることを僕たちは知るべきで。そうなってくると、クラウドファンディングはプロジェクトに参加してよりよく生きたなあと思えるグッズやメソッドを開発できるといいと思いますね。たとえば、赤い羽根募金に寄付した人が赤い羽をつけているみたいに、SNSにデジタルバッジが付けられるとか。
米良 自分が選択したコミュニティや意識している社会課題に寄与していることが、社会からわかる何かを。
落合 著名人が寄付をするとニュースになるけど、僕はいいことだと思っていて。一般の人も社会に対する姿勢がわかりやすいかたちで見えるといいなと思います。
アートを受容する器が小さい日本で、アーティストであり続けるのは難しい?
米良 たしかに。逆に、誰かに認められなくても、自分のやりたいことだけをするのってすごく難しい。やりたいことだけをやりたいままにやり続けられるのってある種の才能だと思う。
一方で、社会性の高いことは、誰かに認めてもらいやすいし、感謝もされやすいから、自分の承認欲求や貢献欲が満たされる。これから社会的な活動をする人はどんどん増えてくると思います。
落合 あらゆる仕事が自動化されていけばいくほど、人や社会とつながる貢献欲は高まっていくと思う。
米良 多くの人は、テーマを誰かに与えられるか、自分で見つけて、その課題解決に向かって、社会に貢献していると実感を持つことで、欲を満たしていく。
落合 課題があって、解決することのほうがわかりやすいからね。僕自身も、会社経営は、課題解決だから、わかりやすくて、パズルを解いているのと同じ感覚で、そこそこ楽しい。アーティストとしての活動も、文脈が発生していて、今はもう単純にやりたいことをやり続けているという感じでもないかも。まあ、放っておいたら、何か作っているか、表現している人間ではありますけど。
米良 なるほど。誰かの評価に関係なく、自分が楽しいという理由で、やりたいことに突き進めるアーティストはすごいと思う。自分の美意識や、何をしているときが一番楽しいかがはっきりわかっているからだと思うけど、私を含め多くの人はそこまで強いものを持っていない。
落合 だからこそ、自分の課題を発見して、クラウドファンディングなどを通じて社会に問うていくというスタイルは多くの人にフィットすると思います。課題が発見されないまま、自分が表現したい作品を作り続けられるのは、ある種特殊な環境にいる人たちなのかもしれない。
ただ実際にアーティストは古来から存在する職業で、海外のクラウドファンディングでもアーティストを支援するプロジェクトは多いじゃないですか。
でも、日本には純粋なアーティストが少ない。つまり社会が養っていけていない。種はいっぱいあるのに、日本社会にアーティストを受容する雰囲気がないから。たとえばヨーロッパにおいてアートの価値は高い。なぜなら、社会制度が飽和化しているなかで、人間の表現の自由さを社会のなかで担保しているのはアーティストだという、彼らに対するリスペクトが根付いているから。
米良 ヨーロッパには当たり前のようにアートがあって、社会にとって必要なものだとされているけれど、日本にはそういう認識がない気がする。
落合 アーティストだと言うと、セレブなの?とか聞かれる。違う価値観や人間の身体感覚の可能性や美意識、文化の深みを供給し続けているのがアーティストだという認識が日本にはまるでない。それは、おそらく文化的な成熟をもたらすアーティストよりも、マスメディアの影響力が強い時代が100年以上続いてきたからだと思います。
元来日本でアーティストというのは、アルチザンと言われる職人たち。技巧を職にして、茶道とか華道とか●●道と言われるような受容するコミュニティをつくったから、アートたり得たわけで。アートを受容する器がない今の日本社会で、アーティストであり続けるのは、天文学的な確率で難しいことかもしれない。
米良 今の日本で、アーティストとして生きられる人は希少な存在。成果が出ていない若手の研究と同じで、"わかりにくい”からお金が付きにくい。Readyforではアート分野におけるお金の流れも変えていきたいと思って、今年の夏、アート部門を立ち上げました。
落合 すばらしい。
信頼をベースにした、価値変換ツールとしてのお金
落合 研究・教育、アート、社会貢献、あらゆる分野において、何か行動をしたいと思ったときに、お金は一番わかりやすいし、動かしやすい。年を重ねるほどそう感じます。
米良 世の中からお金がなくなるという説もありますが、どう思います?
落合 iPhoneが登場したときに、電話もテレビもインターネットのアプリケーションの一つになった。では、お金は何のアプリケーションなのか? お金は本来信頼の一つのアプリケーションなわけですよ。信頼の上にお金が乗っていたのに、資本主義経済の下、お金の上に信頼が乗った。資本のアプリケーションとしての信頼なのか、信頼のアプリケーションとしての資本なのか、その境界線が溶けてくると、必ずしもお金は必要ではなくなるかもしれない。
僕は最近、休日に友だちとファッションブランドをやろうと思って、友だちが服を縫って、友達がロゴをデザインしたんだけど、あとは僕が写真を撮って出せばいい。ものを作るプロセスのなかでお金がほとんど発生しなかった。信頼関係があれば、お金はいらないじゃんという実感がありました。お金が信頼のアプリケーションなら、信頼の示し方はほかにもあるから。
米良 落合くんの場合、ものづくりは、まわりのプロフェッショナルとの信頼関係でなんとかなるかもしれないけど、そこから一歩外に出て誰かに届けるときに、まわりにいない仕事が必要になるかもしれない。そのときに、お金さえあれば簡単にお願いできるわけだから、変換機能としてのお金には価値があるとは思う。
落合 たしかに、みんなの共通言語として、お金が便利な変換ツールであることは間違いない。
米良 今の社会において、お金は、誰かを応援したり、社会課題を解決したりする一つのツールになるから、私たちはこれからも、社会をよりよくするためのお金の流れをつくっていきたいと思います!
おわり
text by 徳瑠里香
Readyforではさまざまなプロジェクトが実行されています!
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