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「クラウドファンディングの可能性を、誰よりも信じる」 7年以上続けてきたキュレーターの仕事で一番大切なこと

かつて月に数件だったクラウドファンディングのプロジェクトが今では毎月200件を超え、数名だったメンバーが130名を突破。あらゆるものが変化する日々を経たからこそ見出した、人の挑戦を後押しする上で変えたくないものとは──?

「クラウドファンディング」の名が知られていなかった頃、まだ法人化されていなかったREADYFORにインターンとして飛び込み、以来7年以上キュレーター職を続けてきたメンバーがいます。キュレーター事業部の田島沙也加さんです。

やりたいことのアイデアを持つ実行者さんに対し、クラウドファンディング立ち上げから成立まで伴走するキュレーター。田島さんは仕事内容が決まっていない段階でキュレーターに着任し、READYFORのビジョンを実現する上で欠かせない仕事の型をつくってきました。

そんな田島さんが見つめてきた、7年以上経っても変わらないキュレーターの軸について聞いてみましょう。

お金がないと、大切に守られてきた文化が失われる

── 田島さんはインターンからREADYFORに入社したんですよね。

そうなんです。大学3年生のときにREADYFORでインターンを始めました。サービスが2011年に誕生して、一年ほど経ったタイミングです。

── どんなきっかけでインターンをやろうと決めたのでしょうか?

“シューカツ”の波に乗り切れず疲弊していた頃、たまたま立ち寄ったイベントで、代表の米良と出会ったことがきっかけです。名刺交換のときに「このサービス、すごく良いと思いました!」と伝えたら、「一緒にやろうよ」と声をかけられました。

就職活動に関係ないイベントだったので、参加者は当時25歳だった米良より年上の、スーツを着た会社員らしい方がほとんどで。私が米良との名刺交換のために待っていたら、周りのスーツの方々が後ろから押し寄せてきたんです。そのとき米良が私を指して「あの子が最初だったので、通してください」と言ってくれた場面が印象に残っています。

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── 大学3年生でインターンを始める決断に、迷いはありませんでしたか?

インターンと就職を結びつけていなかったので、あまり迷いはなかったです。楽しそうだな、と直感で決めました。あとはREADYFORとの出会いによって、これまでの人生におけるさまざまな点がつながった感覚もあったのだと思います。

例えば、私は実家が和紙問屋で、和紙職人さんの数が減っている状況を目の当たりにしてきました。和紙では儲からなくなり、後継者がいなくなる。お金がないと、大切に守られてきたものがこんなにも簡単に消えてしまうのか、と衝撃を受けました。

お金さえあれば受け継がれてきた技を守れるなら、お金を流す仕組みがあればいいのではないか、とぼんやり考えていたので、READYFORに出会ったときに「ここにあった!」と嬉しくなった記憶があります。

他にも、大学生の頃に東日本大震災が発生してボランティアに行き、人の役に立てる接点で仕事したいと思ったことだとか、複数の理由がつながってREADYFORで働く理由を見出しました。

世の中に存在していなかった仕事を形づくる

── 当時のREADYFORはどんな雰囲気でしたか?

米良と数人のインターンで机を囲みながら仕事していて、サークルのような雰囲気でした。今振り返れば“会社”と呼ぶには程遠い状態だったと思います。当時は資金も人手も充分ではなく、「このサービスを未来にどうつなげていくのか」を必死に考える日々で。米良は「READYFORが3ヶ月後に残っているか分からないから、今全力でやらないと」と言っていました。

── 田島さんはどのような仕事をしていたのでしょうか?

私はインターンの頃から今までずっとキュレーターを続けています。とはいっても当時キュレーターの仕事が定義されていなかったんです。自分に何ができるのかを考えながら、問い合わせの対応なども含めてサービスに関わる全てを担っていました。

── 現在よりもキュレーターの仕事内容が幅広かったのですね。キュレーターの仕事をどのように形づくられていったのですか?

米良から、キュレーターとは「実行者さんに寄り添う仕事」「伴走者」だと言われ、その考え方をどう行動に落とし込むのか、内容を考えるところからが私の役割でした。実行者さんにヒアリングしてクラウドファンディングページの文章を考えたり、時に弱気になってしまう実行者さんをモチベートしたりと、仕事をしながら伴走するための方法を見つけていったんです。

── キュレーターのあり方を模索する過程で、田島さんが考えていたキュレーターの軸はありますか?

私が常に考えていたのは、「この人のプロジェクトが成功するために、自分には何ができるのか」。私は他のメンバーと違ってプログラミングも経営もできないので、できることを全てやってみて、実行者さんと一緒に汗を流すのが自分にできる役割だと考えていました。

例えば、当時は実行者さんとはメールの連絡がほとんどだったんです。コミュニケーションするなかで「必要なら会いに行こう」「電話でちゃんと『今しっかりやれば大丈夫だ』って伝えよう」と思いつきから試みてきた実行者さんとの関わり方が、今に引き継がれています。

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── 田島さんのやり方が、READYFORにおけるキュレーターの型をつくったのですね。ハードな日々だったと思うのですが、READYFORを続ける意志を支えていたのはどんな思いだったのでしょうか。

うーん、目の前の仕事をやるだけで必死だった面もあるのですが……READYFORに関わってくださる方々への敬意と責任感でしょうか。

READYFORに自分のチャレンジを賭けてくださる実行者さん。月に数件しかプロジェクトがアップされないサイトを見にきて、READYFORを信じてお金を託してくださる支援者さん。そしてまだ「会社」らしい制度が整っていなかったREADYFORで働こうと思ってくれるメンバー。その想いの全てを大切に思うからこそ、自分が背負うべき責任の重さを感じていたんです。

例えば世の中に向けてやりたいことを宣言している実行者さんに対して、自分の返事が一日遅れたらやりたいことも一日遅れてしまったり、自分がここであきらめたら挑戦の一歩目が踏み出せなくなったりするかもしれない。そこに恐ろしさがありました。誰かの大切な挑戦に関わる仕事の重みが、私の支えになっていたのかもしれません。

変えるべきこと、変わらないもの

── インターンとして入ってから7年以上経って会社の規模が大きくなった今、田島さんはどのような変化を感じていますか?

メンバーが増えて、READYFORの成長が加速している実感があります。サービスや会社としてできることが増えているので、毎日本当におもしろいです。この規模になってもメンバーからサービスへの強い熱意を感じるのは、READYFORらしさなのかもしれません。

メンバーだけでなくサービスの利用者も増えたので、かつてはキュレーターとして全てのプロジェクトと実行者さんを把握していたけれど、今ではプロジェクトの件数が多すぎて把握できません。READYFORがたくさんの方を応援できるようになった嬉しさの一方で、少し寂しさも感じます。

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── 田島さんご自身はどう変化しましたか?

私が担っていた仕事内容と責任が分散され、助け合える仲間が増えました。自分がいなければサービスが止まってしまうかもしれない、と切実な不安を感じなくなった分、自分は会社に貢献できているのだろうか、と役割を見つめ直している最中です。

これを機にあらためて、私がREADYFORに貢献できること、READYFORで叶えられる「私がやりたいこと」は何だろう、と自分と向き合う機会を増やしています。

── 田島さんにとっても節目のタイミングなのですね。サービスや会社の規模、関わる人が一気に増えた今、READYFORの「変化」についてどう考えていますか。

変化の大きい日々を過ごしているので気持ちが追いついていない部分もありますが、もっと多くの方に想いの乗ったお金が流れる仕組みに参加していただくために、READYFORとして変化を止めるべきではないと思います。私自身も凝り固まりたくないです。

一方で、READYFORとして変わらない部分もあります。サービスが走り出した当時から今までREADYFORが残ってきたのは、実行者さんを信じて達成まで一緒に走りきる姿勢がずっと核にあったからだと思うんです。

今後もっとサービスの規模が大きくなっても、ビジョンは掲げられるだけのものではなく体現すべきものであることに変わりはありません。実行者さんファーストを常に実現できている組織でありたいですし、もしクラウドファンディング以外の事業を始めるとしても、これまでと同じようにサービスや、その先につながる社会と向き合いながら、成長できる私たちでありたいです。

── キュレーターを続けてきた7年を経てあらためて、田島さんはどんなキュレーターでありたいですか?

実行者さんが挑戦する可能性を、一番近くで信じている人でありたいです。

だからこそ、プロジェクトの達成を自分が信じられるように実現可能な計画を立てますし、実行者さんの発言を理解するために「その真意や詳細をもっと知りたい」とお伝えします。発言や計画を無条件に受け入れるのではなく、私が納得できるところまで実行者さんと向き合うのが仕事です。これを今後もキュレーターの軸として大切にしていきたいと思います。

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田島沙也加(たじま さやか)
1990年生まれ。大学在学中にクラウドファンディング(以下CF)サービス開始初期のREADYFORに参画。2012年から現在まで数多くのプロジェクトをキュレーターとして担当する。国立機関や大学とのCFプログラムの企画設計、寄附型CFや、ガバメントCFの立ち上げに関わるなど、新たなサービス展開も手がけ、現在は、医療や研究をテーマとしたプロジェクトにも注力している。
Twitter:@ogawa_ta 
Facebook:@sayaka.tajima.RF
text by 菊池百合子 photo by 戸谷信博 

#働く人の想い

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