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3.11ー「うしろめたさ」から寄付が動いた。移り変わる9年間の支援の形

「2011年 寄付が、動いた」

『寄付白書2011』*1 の帯には、こんな言葉が踊っています。

2010年の日本国内の寄付総額は、4,874億円。
2011年は、1兆182億円。

東日本大震災の影響で、寄付の輪は前年比209%という圧倒的な広がりを見せました。この年、全国民の7割が何らかの寄付を行ったというデータもあります。

そして2011年は、日本初のクラウドファンディングサービスとしてREADYFORが立ち上がった年でもあります(2011年3月29日〜)。間をおかず他社クラウドファンディングが続々とローンチしたことも相まって、文字通り「寄付が動いた」1年でした。

あれから9年。復興はまだまだ途上ですが、メディアの話題は常に移り変わります。「風化」が課題として語られることすら、風化しつつあるような……。

しかし実は寄付についていえば、9年前にどっと増えた金額は、その後も震災時の7割程度の水準を保ちながら、ゆるやかに伸びているのです *2 。

さらにREADYFOR内でも、東日本大震災に関連するプロジェクトは、決して尻すぼみにはなっていません。

▼READYFOR内「東日本大震災」関連プロジェクト 支援総額・支援者総数(弊社調べ)

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実際、キュレーターの肌感覚としても、被災地支援に関わるプロジェクトは今なお少なくありません。

あのとき広がった「寄付の機運」は、風化せずに残っている。ただ、増えているのはいわゆる義援金のような直接的な寄付よりも、別の形の支援であるようにも感じています。

クラウドファンディングの現場から見える「被災地支援」のあり方、その変化について。

節目の日に、考えました。

text by 徳永健人/廣安ゆきみ
 (READYFORキュレーター)

震災直後:「うしろめたさ」が後押しした、寄付体験

未曾有。あのとき、何度この熟語を目にしたでしょうか。

家屋の倒壊や市街地を飲み込む津波、火災、陸に打ち上げられた船舶……日々目の当たりにする映像に、いてもたってもいられない方は多かったはずです。その思いのまま、寄付をされた方も多いのではないでしょうか。

ここで、少し冷静に、震災直後の動向を振り返ってみたいと思います。

一般的に、大災害が起きた直後は、被災地や被災者自身ではなく、他の自治体や支援活動団体、有志が寄付窓口を開設します。

このとき寄付の動機は、もちろん人それぞれだと思うのですが、例えばいくつか挙げるとすれば、

●「自分の立場から、できることをしよう」=正義感による寄付
●「せめてお金だけでも包ませてほしい……」=悲しみ、悼む気持ちの寄付
●「とりあえず、しておかなきゃまずいのでは」=一種の「うしろめたさ」による寄付

ここで注目したいのは3番目、「うしろめたさ」による寄付、という分類です。これは文化人類学者の松村圭一郎さんが提唱されている概念です。

東日本大震災や熊本地震のあと、多くの人がなにかをしなければ、という思いに駆り立てられたと思う。そこには、過酷な状況を強いられた人びとがいながら、自分たちが平穏な生活を送れていることへの申し訳なさ、「うしろめたさ」のような気持ちがあったはずだ。 (松村圭一郎『うしろめたさの人類学』 ミシマ社, 2017)

正義感や悼む気持ちは、それまでも寄付の根底にあった大切なものだと思いますが、東日本大震災ではこの「うしろめたさ」という感情が、大きな寄付のムーブメントを引き起こした一因だったのではないか。

私自身、あの震災のときに寄付をした一人ですが、まさにその背景には「うしろめたさ」がありました。

というのも、東日本大震災はいわば「SNS時代最初」の大災害でした。マスメディアだけでなく個人が発信する膨大な数の写真や動画。手元のデバイスの中では被災者の生の書き込みが流れ続ける。毎日アップデートされるリアルすぎる情報が、「支援しないわけにはいかない」という「うしろめたさ」を生み、私の背中を押したのです。

ここでの「うしろめたさ」という言葉にはネガティブなニュアンスはありません。むしろこの「直感的」な、しかし「能動的」に自ら寄付をしたんだという実体験が、その後ほかの支援へのハードルも下げてくれたように思います。

私だけでなく、東日本大震災のときの寄付体験は、欧米と比べて寄付の文化が薄いと言われてきた日本人の価値規範を変える、重要な転換点になったのではないでしょうか。

震災後の9年間①:寄付から復興、伝承、防災へ

それから、被災地が少しずつ少しずつ復興に向かっていく中でも、READYFORの3.11関連プロジェクトの支援総額、支援者数は比較的安定して維持されています(上グラフの通り)。

ただ、2011年から現在に至るまで、立ち上がるプロジェクトの性質は変化してきました。

フェーズ① 被災地がすぐに必要とする物資・資金を届ける、直接的な寄付プロジェクト
フェーズ② 災害が落ち着いたあとの、復興活動を支援するプロジェクト
フェーズ③ 当時の記憶を後世につなぐ、伝承をテーマにしたプロジェクト
フェーズ④ 被害を教訓に、新たなスキームを作り出すためのプロジェクト

※もちろん、各フェーズは順番に綺麗に移行していくわけではなく、ときに重なり、行きつ戻りつしながら展開しています。

ひとつひとつ具体例をご紹介します。

フェーズ① 被災地がすぐに必要とする物資・資金を届ける、直接的な寄付プロジェクト

東日本大震災発生直後は、まだREADYFORも立ち上がっていなかったため、3.11関係で①に当たるプロジェクトは事例がないのですが、現在READYFORでは「緊急支援」として、災害発生時に資金を募るプログラムを運営しています。

資金の届け先は、被災地での支援団体(NGO、NPOなど)。まさしく、被災地にいち早く届く「支援金」を募る *3 プロジェクトです。


フェーズ② 災害が落ち着いたあとの、復興活動を支援するプロジェクト

災害から1年ほどが経ち、緊急での支援が落ち着いてくると、READYFORでも、元あった日常を取り戻し、再び前を向くためのプロジェクトが次々立ち上がりました。

①と違い、実行者の多くは被災当事者です。被災地に必要なものを取り戻すためのプロジェクト、失われた思い出を形にするためのプロジェクト、ゼロから新しい生業を旗揚げするプロジェクト……。

クラウドファンディングが担ったのは、行政のサポートが届きづらい、衣食住の先、被災地の方々の心の拠り所となるものの復興です。長い時間をかけて、さまざまなプロジェクトが今も立ち上がっています。

■陸前高田市の空っぽの図書室を本でいっぱいにしようプロジェクト(2012年)

■南相馬市高見公園にじゃぶじゃぶ池をつくろう!! byみんな共和国(2013年)

■震災で全壊した久慈市の水族館「もぐらんぴあ」を復活させたい!(2016年)

※ご紹介したい事例はもっとたくさんあるのですが、悩んだ末にセレクトしました(以下同)。


フェーズ③ 当時の記憶を後世につなぐ、継承をテーマにしたプロジェクト

さらに災害から月日が経つと、「風化させない」「あの日を忘れない」という言葉がメディアで目につくようになってきます。

実際、震災から3~4年が経過するころから、クラウドファンディングでも、その思いを反映するようなプロジェクトが増えています。実行者は被災地の方だけでなく、復興支援を続けてきた他地域の方が、危機感を持って立ち上げるケースもあります。

記憶の継承というと堅苦しいですが、音楽イベントの開催、写真集の制作、記念碑の建立、桜の植樹、新しい青色の絵の具作り、プラネタリウムプログラムの上映などなど、実行者が自分の得意分野を生かす、プロジェクトの形は多彩です。

■関東最大規模の”東日本大震災追悼音楽フェスイベント”を開催!(2015年)

■仙台市天文台の挑戦。被災地を照らした3.11の星空を全国へ。(2018年)

■3.11を忘れない。気仙沼市の新しいシンボル「祈りの帆」の建立へ(2019年)


フェーズ④ 被害を教訓に、新たなスキームを作り出すためのプロジェクト

そして二度とあの悲劇を繰り返さぬように、たとえ災害が起きても被害が最小限に食い止められるように、今から備えを模索するプロジェクトも続々立ち上がってきています。

こうした新たな仕組みを根付かせるプロジェクトは、③の継承もそうなのですが、「継続」がキーにもなってきます。そのため、【第何弾】という形で繰り返しクラウドファンディングに挑戦されることもしばしばです。

■あなたの街にも救援。災害派遣トイレ網を史上初、富士市から!(2017年)

■ボランティア格差の解消へ。スマレプで被災地復興を加速させたい(2019年)

■新たな復興支援を目指す"FUKKO DESIGN"の始動へ(2019年)

震災後の9年間②:無意識の寄付から、「記憶に残る」寄付へ

このように、東日本大震災関連といっても多様なプロジェクトが立ち上がってきましたが、クラウドファンディングの浸透にともなって、実行者さんだけでなく、支援をしてくださる方の心持ちにも変化が生まれてきているのではと感じています。

特に、寄付金・支援金の「使われ方」を「自ら選ぶ」ということについての意識です。

従来は、災害の支援でも、よほどリテラシーの高い人でなければ寄付先を選ぶ余地はほぼなく、「どこにいくのかは知らないが、とにかく寄付は寄付だから」というのが主流でした。しかし近年は、そのお金が結局どう使われたのか、本当にその団体で良いのか、気にする人が増えつつあります。それは同じ災害支援でも、寄付先の選択肢が増え、「選ぶ」ことができるようになったからではないでしょうか。

殊にクラウドファンディングは、プロジェクト単位で資金を募ります。「#東日本大震災」のタグで絞ってもあまたある選択肢の中から、ページを読み、実行者さんの人柄を慮り、支援先を選ばなければいけない。実行者は、どのようなことをやりたいのか、どうしてやりたいのか、どれくらいやりたいのか。それに自分は納得できるのか。

知り合いからお願いされて支援することもあるでしょうが、それでもやはり、本当にこの人のこの活動にお金を託せるか、いくらなら出せるか、選ぶことになります。

さらに支援者は、その後プロジェクトがどうなったのかを追いかけ、時に意見することもできる。支援の結果に満足すれば、第2弾、第3弾も継続して支援したり、マンスリーサポーターとして応援を続けることもできます。

自分のお金に小さくともインパクトを感じられるようになれば、支援は日常の楽しみにもなりえます。READYFORでも、過去20回以上支援くださっているユーザーさんは1,000人以上いらっしゃいます(中には、900回以上支援くださっている方も!)。

無意識の寄付から、「記憶に残る」寄付へ。これも、この9年の間の一つの変化かもしれません。

そして10年目へ:形を変えながら、支援は続いている

東日本大震災以後、寄付や支援は、確実に身近なことになってきています。

2016年の熊本地震、2018年の西日本豪雨など大災害に見舞われるたび、多くの寄付が集まるようになりました。自然災害だけでなく、2019年の京都アニメーションでの事件や首里城火災などにおいても。大きな悲劇が起きたときに寄付のムーブメントが盛り上がるのは、今やごく自然なことです。

それには、手前味噌ですが、クラウドファンディングを始め、インターネット上の寄付サービス、ふるさと納税が一役買ってきたと言えるでしょう。寄付をするハードルも、寄付プロジェクトを立ち上げて世の中に呼びかけるハードルも、どんどん下がっているのです。

一方で、有事の直後だけでなく、それがトップニュースから外れたあとも、形を変えながら復興は、支援は続いている。それを下支えするのも、またクラウドファンディングの一つの役割であると思います。

東日本大震災から丸9年。

一時の話題性に依らず、必要なプロジェクトに必要なお金が流れるように。サービスとしてももっと強くなければと、改めて誓う1日です。

*1 日本の寄付市場の動向がまとめられた一冊。日本ファンドレイジング協会 編。不定期に刊行されています。https://jfra.jp/research
*2 日本の寄付総額の推移。『寄付白書 2017』(日本ファンドレイジング協会編, 2017)より。2017年以後のデータは、まだ白書が発行されていません。
2010年 4,874億円
2011年 10,182億円
2012年 6,931億円
2014年 7,409億円
2016年 7,756億円
*3 緊急災害支援の寄付には、大きく「支援金」と「義援金」の2つがあります。前者は、支援団体に送られ、被災地での活動に使われるもの。後者は、被災自治体に送られ、被害が落ち着いた後に被災者に分配されるものです。
それぞれのメリットは、
支援金:どういった支援活動に使われるかを寄付者が選ぶことができる / 寄付後速やかに届けられるので被災直後の支援に使われる
義援金:時間はかかるけれども被災者に平等に分配される
READYFORの緊急災害支援プログラムでは、前者を募っています。
徳永健人
READYFOR 経営企画室 リードキュレーター。入社後、社会貢献活動のプロジェクトを主に担当。ソーシャルインパクト事業部を経て、現在は事業開発を担当。認定ファンドレイザー。 @kento_tokunaga / Facebooknote
廣安ゆきみ
READYFOR アート部門 リードキュレーター。出版社勤務を経て、現職に。2018年 アート部門を立ち上げ、現在は主に芸術・文化に関わるクラウドファンディングプロジェクトを担当している。@mo_algae_ / Facebook
edit by 徳瑠里香 

#働く人の想い